1996年4月25日第1刷
帯付 帯背微ヤケ・微ヨゴレ 三方微ヨゴレ 裏見返しに書店シール貼付
※ アイルランドのノーベル文学賞詩人ウィリアム・バトラー・イェイツの思想を、当時のヨーロッパの激動、特にファシズムの台頭や「反近代」の精神と結びつけて分析した論考です。
啓蒙主義や物質文明としての近代に対し、イェイツがどのような拒絶反応を示し、世界の終末への予感を抱いたかを論じるにあたって軸となっているのは、その主著「ヴィジョン」"Vision"に見られる、歴史を円錐状の回転としてとらえるオカルト的な歴史哲学。晩年のイェイツがアイルランドの青シャツ党(ファシスト団体)に接近した背景や、ヨーロッパ全体の右傾化との共鳴を避けることなく議論の俎上に載せています。
詩人の内面だけでなく、当時のアイルランドの内戦や、ユング、エズラ・パウンドといった同時代の思想家・作家との接点にも目配りを欠かさず、1990年代の我が国もイェイツ研究において、イェイツの「危険な政治思想」を歴史的文脈のなかで真っ向から論じた重要文献です。
そもそもイェイツ自身の著作「ヴィジョン」が難解ですのでね、本書も同様に専門的かつ抽象的。また、この本に限ったことではなく、この時期のイェイツ研究全般の問題として、イェイツのファシズムへの親和性を強調しすぎることは、イェイツの芸術家としての両義性や、アイルランド民族主義への複雑な感情を単純化しかねないという、研究上の慎重な視点が必要とされる箇所もあります。
参考までに、ファシズム、人種論、優生学に対するイェイツのスタンスを述べておくと、晩年(1930年代)これらの思想に接近したことは否定できません。結論から言うと、彼はこれらを「貴族主義的で美しい秩序を取り戻すための手段」として肯定的にとらえていました。
そもそもイェイツは、民主主義を「数だけの暴力」や「凡庸さの支配」として嫌悪していました。それよりも、強力なリーダーシップによって社会の混乱を鎮め、秩序を再構築するものとして、ファシズムに惹かれていた。じっさい、アイルランドのファシスト組織青シャツ党のための軍歌(行進曲)を作詞したこともあります。ただし、じっさいの政治運動の泥臭さや暴力性に直面すると、次第に距離を置くように。イェイツが求めたのは知的な貴族政治であり、大衆動員としてのファシズムそのものではなかったという見方もあります。
人種論に関しては、イェイツの場合、近代的な生物学的人種差別というよりは、「血統と伝統」に近いニュアンスです。アイルランド固有の精神性(ケルト)を、イギリス的な功利主義や物質文明から守るべき「高貴な血」と考えていました。古い家系や土地に根ざした人々を称賛し、それを持たない都市の中産階級を軽蔑する傾向ですね。
優生学については、これは驚くほどストレートに支持していました。「無知で無節操な下層階級が急速に増え、優れた知性を持つ家系が衰退している」という危機感を抱いており、1930年代後半には、断種や出産制限といった優生学的な社会政策を肯定するような発言を詩やエッセイのなかに残しています。
なので、擁護するわけではありませんが、イェイツの目的は差別ではなく、あくまで「精神的・肉体的に強靭な人間による、美しい文化の維持」「英雄や詩人が生きたような黄金時代(秩序ある世界)の再興」であって、現代人から見れば、いかにも文学者の浮世離れした理想主義。その政策が、生身の人間にどのような苦痛や人権侵害をもたらすかという現実的な想像力が欠如しており、まさに「書斎の中の理想論」。「強力なリーダーシップが必要」というのも、客観的な情勢分析ではなく、自身の個人的な神秘体験や象徴理論に裏打ちされた発想なのです。自らの美学的・神秘的な理想のためなら過激な思想も辞さないという、極めて文学的で独善的なエリート主義。しかし、その思想がナチズムなどの現実の惨劇と共鳴する危険な性質を持っていたことは事実であり、現代のイェイツ研究においても「偉大な詩人の暗部」として厳しく、あるいは慎重に分析され続けている部分です。(Pa)